今日のお散歩はお買い物ついでに銀座へ。暑さは半端なく日陰に沿ってビルの合間を並木通りへ。
銀座の帰り日比谷へテクテク、夕暮れ時のネオンが夜の街へチェンジ。この上を新幹線や山手線が通ってます。
有楽町高架下と帝国ホテル
よくターミナル駅って地下が発達しているけど、銀座はやっぱり地上を歩くと楽しい発見がいっぱい!何気ない小窓のようなガラスブロックの中にもストーリーやワールドを感じるアート
お目当ての楽譜やスコア、仕事や自分への投資。それだけでもわくわくしながら今日も1日が終わります。
原発汚染水の放出が開始となり、ロシアのブリゴジンが乗った飛行機が墜落、いろんなニュースにいろいろな思い。
YAMAHA銀座店、鍵盤楽器にはエレクトーンが2台のみ。あとフロアにピアノが10台以上〜この現実。
何も私が責任を負うわけでもないのに、悲しかったり、寂しかったりするこの気持ちはなんだろうと思います。
先日のコンサートで乗り越えた気分をバネにして、自分のことだけ、大切にしていることだけを考えていきたいと思います。そうでないと、全人生否定された一生にむかっているようで、哀れです。
私の近くにいる、実は遠くにいる仲間たちの情熱や思いを裏切るようなことはしたくないし、私をこれまで支えてくれた両親や家族、たくさんの方々のためにも、やめるわけにはいかないのですよ。
予算がないとか、人が足りないからではない、培った歴史=人生、誇りを持っていかねば。共にそこで生きている人が連帯できたら、共感できたらとおもいますが、価値観は異なりなかなかハードルの現実。みんな自分のことで精一杯なのですね。
ああ、やっぱり、緑のあるお散歩で癒やされなくちゃ笑
お盆も終わり、秋を一足早く取り入れて、読書だ!
久しぶりの本屋さん、いろいろ面白そうなのをゲット。
佐藤愛子先生の「90歳何がめでたい」から10年、ますます激白の「そもそもこの世を生きるとは」を買った。
その横で、またまた似たような「ほどよく忘れて生きていく」
どちらも女性として逞しく本物の優しさにあふれていた。
じっくり読もう!
あとの2冊は、よく電車の広告でありがちなタイトル、見たことあるかも。
最後に雑誌は大好きな家庭画報、これページをめくるたびに清涼な気分になるな。
とにかく、コンサートから何かが変わった!
頑張るぞぉと言うのでもないし、心得た!というほどのものもないが、相変わらずといえることから、次のドアを開いたように、見えるものが大変新鮮に感じる。
今日は小倉jet熱心な先生方が集って下さり、サウンドカーニバルを指導と制作の両面からお話しました。
来月のコンサートについても、皆様とエレクトーン普及して行く気分で取り組んでいます。
コロナ禍やウクライナ情勢で日々の閉塞感にも慣れてしまう程です。
少しずつもとに戻ってきた感じで、サウンドカーニバルもリアル実施がきまり、皆様嬉しそうでした。
師走のクリスマスシーズンに、私なりの音楽のプレゼント、その思いが届くとよいです。
午後は、天神へお願いしていた注文の楽譜を受け取りに行きました。
やった〜♥
カールエマヌエルバッハのクラピィーア奏法やら、レオポルドモーツァルトのバイオリン奏法をついにゲットしたぞ!
楽しみ増えた\(^o^)/
コロナが少しおさまったかのように、今年のGWは、以前のような賑わいをあちこち見せているようで、博多はどんたくがあったとテレビから賑やかな様子が伝えられていました。
この流れで、明後日のコンサートも感染に気を付けて、対策をしっかり行いながら実施致します。楽しみだなぁ。
御予約もほぼいただけたようで、まあそこそこ座席は埋まった感があり、あとは、われわれ出演者のマインドで、楽しんでいただくコンサートにしなくてはと、張り切っています。
さて、コンサートの準備もだけど、都心はいつものことで、盆暮れ、GWは、都会脱出なのか電車はがら~ん、皆様どこかに遊びにいってらっしゃり、こういう時こそ、必ず出かける楽しみは、本屋さん。
日本橋のMARUZENや、東京駅、神保町の三省堂、もちろん楽譜を見るには銀座のYAMAHA。
私は本屋が大好きなんですが、コロナ禍ではなかなか出掛けられず、久しぶりに伺うと、三省堂は、今週末で建て替えによる三年間の休業となるそうて、ちょっとガックリ😭💨💨
確かにコロナの煽りを受けお客様の減少は否めず、我が家からもっとも近い駅前の本屋さんも、閉店、今の時代ネットが本屋の代わりで、アマゾンで何でも買えますもの。近くのデパートに入っていた本屋紀伊國屋と文教堂もいつの間にやら無くなっているし、ちょっと寂しいなぁ。
この前、八重洲ブックセンターにいったら、以前よりお客様は少なくて、、、
ゆっくり図書館にいる気分(^_^;)でした。
宇宙や天文学に関する本、宗教と音楽に関する本や、建築に美術、歴史、いろんな世界を知り得るようで、ついつい立ち読みして、気に入った本を買います。
最近ゲットしたのは、
建築、興味あります!
あと、仕事で便利そうな文庫版和声本、オンラインでコード進行法や和声を教えている中で、ついついコード進行法中心な考え方からクラシックの方、ピアノ系の方々には和声からご説明したほうがよく、少しサポートになるかなとゲット。
こんなのも。面白そうかと。
明日、博多に向かって行く新幹線の中でゆっくり読もうかな😃
最近、ラ・フォル・ジュルネのプロデュースするルネマルタンに関する本を読みました。
銀座を終えて、今後のことを考えるにあたり、参考になるかもと紐解いてみたら、彼の人生哲学が語られ、音楽ビジネスについて、大変刺激になるマインドを学びました。
コロナ禍での音楽活動、音楽家はみな発表のシーンを寸断された昨年となり、新たな形を含め、オリンピック実施をバネに、今年は積極的にステージを求めていることを感じます。
あちこちで頑張る姿が届く度に、自らの銀座での経験を思いだし、私はとても思いきって何かをやるという気になれないというのが、現実となっています。
ご一緒してくださる様々な方々は私の全てをご理解くださっているうえで、共に歩こうと思ってくださる方々なのですから、その胸を懐に入り、共に作り上げていけばよいだけのことなのですが、目に見えない力の存在にも気を配り、幸せになるタイミングや、充実の時間を得るための充電だと思うことにしています。
コロナによってもたらされたこの新しい価値観や、感覚を自分なりに整理して、やることを継続、決して比べることなく、創出するには、誰かと同じをたどったところで、過去の繰り返し、やはり、新鮮な挑戦をやり遂げる方向で生きていきたいから、今は学びの時間なのかもしれません。
その学びは、もしかすると、食や健康、美容にも至ることで、何か大切なことをすぐ近くに実現する要素が隠されていて、気付きが足りていないか、まだ熟成には至らないのかもしれない。
焦ってはならないかと。
更には、長い人生に体験するあらゆる経験の後に待っていると思っていたことなど、全く目標があるわけではないのだけど、他と、かなりかけ離れた活動を探っているようにも思えて、私がやることなのかとも思うことあります。
でも、やめられないのは、自らが担うことを、知らず知らずのうちに出会いやチャンスと共に、シナリオに乗って生きてきたのかもなのです。
最近、ひたすらエレクトーンの先生方に役立つ編曲を書いたり、それを放ちながら、迷いから信念へと変化。
また、コンチェルトに関しては、やりたい楽曲を胸に秘めて、というほどでもないですが、次のステージを夢に見ることへ。
エレクトーンを続けてきて、私は教育のところに関わって音楽も見つめているので、クラシックにどうしても目を向けて、沈黙が与えてくれる内なる音楽の喜びを、ずっと取り組んでいきたいのだなと思うのです。
あ、コロナじゃなかったら、十和田湖とか、美ヶ原とか、奥日光とか、湯布院とか、、、静かに過ごしたいと思っているのですが、意外と近所の親水緑道への散歩や、バッハやモーツアルト、ショパンベートーベン、サン=サーンス等が気持ちを落ち着かせてくれているから、音楽がもたらしてくれる喜び、幸せとは、なんと素晴らしいものでしょう。
命をつないでいく責任、おおきな視点でとらえながら、時代とともに生きていかなくてはですね。
今日もお読み下さりありがとうございます。最近長くなる傾向が、、、ごめんなさい。
ではまた、明日ね(*^O^*)
ありがとうございました。
月エレにオンラインセミナーの件で掲載されたことがきっかけで、あちこちからメールをいただきました。
また、同じエレクトーン仲間として、エレクトーン普及に頑張っている方からのお問い合わせは、嬉しくて、私も励まされます。
やはり流通した専門誌をご覧になっている方々が多いわけで、その世界の端で頑張っている方々がたくさん見ていらして、違うなぁと今さらですが月エレで、気持ちが前向きになります。
これまで、音楽の方向として、受け入れていただけないような世界を感じるのは私だけかと、読む度ごとに落ち込み、音楽を否定されたかの気分になっていました。
今から20年以上前に自分がまだ若い?!括りに今から思えば入っていた頃も、その当時であっても、若い方の専門誌で趣味の方々が楽しくエレクトーンで集う雑誌に見えてしまい、どこか乗り切れない世界を感じていました。
エレクトーン音楽を真面目にアカデミックに語る部分も、専門誌としてのカラー、スタンスが全面に出ていて、どこか流行を追いかけるカッコよさ!
つまりは、私が考える音楽世界とは、ちょっと違う(^o^;)流行を追いかける世界。
世の中には様々な感性もあって当たり前だし、まあ、自分らしく好きなことを続けてと、やってきたわけですが、自宅でエレクトーンもピアノも教える世界からは、楽しけりゃいい方向についていけなくて、他の同業者やら仕事仲間と話すときにも、そのギャップを語る人がいても、そこまで考えるナンセンスさで、一瞥されるのがオチだったように思います。
むしろ、ピアノのご専門の方々、クラシックの楽器や歌、合唱の皆様からは、オーケストラ代わりの有能さをおおいに受け入れて下さり、ピアノ教育のところで生かすエレクトーン伴奏に、私自身は心血注ぐ時間を紡いできた人生だったかも。
今、長いこと続けてきたこの仕事の中で、マイペースが様々な方々に受け入れられてきただけでも有り難く感じます。
自然の成り行きにおいて、楽器本来のよさを見つめ、教育上においての有能さを感じるエレクトーン指導者の意識が育ってきた時代に入っていけば、専門誌の方向も、新たなページとなれたら、読者はさらに嬉しいのではないかと。
専門誌は、それだけ担っている役割があると思えてしかたありません。
エレクトーンの先生たちが読んでなるほどと思うためになる本、趣味の人がサブテキスト代わりの本、業界の情報、、、ネットでググれば、何でも出てくる時代に、専門誌がどう生き残るかにおいて、ユーザー登場ページは、活性化に繋がることでしょう。
出版の姿が様変わりしていく時代の中でも、ずっとユーザーによりそった専門誌、もっと音楽界にアピールできる力で、これからの月エレの発展を願っています❤️