関東のお盆は7月。故郷都城は、8月。
今はもう誰もいない、家もなくなってしまいましたが、代々続く母方、内藤家の墓地の隣の父と母が眠るお墓のことが気になるのです。
養子ではなかったのですが、父は母の家に入り、そのお墓を亡くなるまで見てきました。直系の叔父は、若い時に都城を出て北九州で家庭を築いて、既に齢86歳ぐらいになっており、我が内藤家墓地に両親が眠るとはいえ、なかなか遠方ですと、早々墓参りにも帰れず・・・ましてや、姉婿である私の父の存在が、実家への足を遠のいてしまわせたことかと。それを思い父も、内藤のお墓を守ってきたのでした。
足の悪かった母に、両親は当時幼い長男にではなく、私の母を不憫に思ったのでしょう、長女となってしまった母に内藤を継がせました。
没落した家を守るため、父も母も、苦しい生活の中で、かつての内藤家を繋いで、手広くお付き合いしていた記憶があります。
私が3歳の時に亡くなった祖母。母は、生まれて間もない時に事故で足を悪くしてしまいましたので、亡くなった祖母は、不自由な身で、世間の女性と同じように家庭を持ち、子供を育てていくこと、内藤をまもっていくことがどんなに心配だったかわかりません。
ちょうど物心ついた頃だった私は、その当時のことをよく覚えています。
足の悪い母が、大変な思いをしながら、私の手を引いて、とぼとぼと自宅から1時間ぐらいかけ、ピクニック気分でお出かけ、水筒やおにぎり、バナナ持参で大岩田の島津墓地に通っていました。そう、庭に咲いていた草花を抱えて、少しシンコペーションかかった母の歩くリズムの後についていきました。母も寂しかったのだと、今やっとそう思うのです。
墓守のお宅によって、お掃除のお水を頂戴したり、終わったら、その墓守さんがいつもお茶と美味しいお漬物を出して下さったり、その広い畑の中の豚舎のブタさん、牛さんを動物園で眺めるように見ていたことも覚えています。そのお宅には男の子と女の子がいたような?そして、若いお嫁さんはいつもにこにこして、私の母の足のことを心配し、重い水汲みも手伝って下さっていました。
お墓の掃除が一段落したら墓石に腰かけて、バナナを食べたり、時間があると墓地の山の上にある島津家代々のお墓にもお参りします。今でもそこは素晴らしい墓地ですが、数年前に帰った時には、以前のように簡単に入れなくなっていました。
私は、そこから眺める都城盆地が大好きで、霧の蔵を初演で都城の霧島酒造の霧の蔵ホールで演奏することが決まった時も、ここを訪れてお殿様にぱちぱち~神道なんです、内藤家は。
そんな、思い出がいっぱい詰まった都城島津墓地。
父や母が、どんなにつらくとも都城を離れずにいたこと、父は私の音楽のために都城を離れたこと、そして再び定年後に内藤の家を守るべく、母が亡きあとも、この墓を内藤を守り通したことを思えば、簡単にお骨を東京へ・・・という気持ちにはなりません。
両親が歳を取り、お墓の草取りが大変になってきた20年ぐらい前から、都城市のシルバー人材サービスに墓地清掃サービスを依頼するようになりました。父が元気なうちは、毎月通う墓地でしたので、さほど清掃業務も今ほど大変ではありませんでしたが、こうして墓参もなかなかできない状況ですと、年に2.3度の清掃は、特に長雨が続いた後は大変なことになっているようで、いつもお願いしている方々の苦労を思うと、本当に感謝です。
自分で選んだ人生、父や母が遠くに今も眠りつつ、私の行く末を案じて守ってくれているのも、このシルバーサービスのサポートがあるからこそ。
今年も、またお願いしました。
もちろん親戚もいないことは無いですが、皆自分の家庭のこともありますので、其々ができることをできる範囲で恙なく頑張っていることを、こうしてきれいにして貰ったその姿で伝えられたらと思うのです。
こんな私のような、故郷遠く嫁いだり、落ち着いたりの人たち、いっぱいいるかと思うけれど、故郷を思う気持ちに応えて下さるサービスがあるから、ずっと私の故郷の原風景は続いています。
昨日は、久しぶりに自由ヶ丘で降りて、モンブランでモンブラン、たまにはケーキでもと、義母へのお土産を買いました。
新婚の頃、住んでいたのは尾山台で、この駅を乗り換えとしてよく利用していましたし、歩いて奥沢、田園調布、自由ヶ丘、九品仏、尾山台界隈が生活行動範囲だったのです。
あれから40年近く経過したけれど、変わらない街、お店~少し街並みは、賑やかになったかな。
自由ヶ丘駅前
昔からある洋菓子の老舗モンブラン
結婚指輪をここで買いました。一誠堂
モンブランのモンブラン、上にマカロンが乗っていて、たっぷりのマロンクリームが、優しいカステラのカップケーキにのって結構食べ応えありそうに大きいのですが、甘さが上品で大きさの割には、さらっといただけます。
今日も私の手作りお弁当を一緒に食べたあと、コーヒータイムにこの大きなモンブラン。義母もペロリと美味しく平らげてくれました。
モンブランのケーキの包み紙や箱にあるお洒落なイラスト、東郷青児の作品、これもかなり素敵です。
主人の実家から帰り道、素敵な住宅街が続きます。そこでみつけた玄関横の樹木、その姿なかなか素敵で、つい一枚記念に。
ハナミヅキじゃなさそう、ヤマボウシ?かな。絵になる出で立ち。お花がまるでテキスタイル(*^^*)
たまにこうして出掛けると、やはり目にするもの、耳にするもの、語ること、口にするもの、新鮮な刺激となって、心を癒してくれました。
99歳になる母も、話をよく聞いてくれて、私の訪れを待っていてくれます。その様子も、嬉しいし、感謝です。
時を経たからこそ感じる様々なことに、もはや声をあげずとも、運命が決まっていることを教えてくれて、心が安らぎました。
さあ、今日は、ちょっと執筆、頑張ります。
毎日のようにオンラインで業務推進、担当するjet支部の定例会に打ち合わせ等、すべてLINEを使い、サクサク集中の仕事です。意外とリアルより、そこだけ、画面をみて打ち合わせで、効率は高いかもと思っています。
私自身の音楽活動のために、この度音源で力になってくださる方との出会いがあり、早速少しお願いしてみましたら、あっという間にP&Eのミックスサンプル音源をお聞かせいただきました。
教育的な音楽制作に視野もあり、現場感覚をしっかりとお持ちで、嬉しいことにワタクシの作品のよさも感じていただけたようなので、思いきっておまかせできるかと思っています。
はっきり言って、楽しく取り組んでいただけることが何よりで、放たれたその作品には、命が吹き込まれていくと思うものですので、私が作った音楽を、さらに一緒に作り上げて伝える音楽にと残しておきたい、役にたてるようにしたい気持ちを同じく取り組んでいただきたいとおもっています。
お力をいただいて、末長く何かとささえていただけたら、どうぞよろしくです‼️
写真はお友達から届いた故郷、霧島の山並み。
ほっとするなぁ、
毎日何かしら力になってくださる方々に恵まれ、感謝!
今日から12月で、またまた出張がやって来ました。
今回は、思いきって飛行機で福岡へ。木曜の小倉が終わったら新幹線で神戸に移動し、神戸店の業務終わったら、飛行機で帰るスケジュール。
我が家は、羽田からは1時間半ぐらい、羽田は神奈川県に近い東京の南のはずれにあるから、そこまでいくのに一仕事。また、飛行機は乗ってる時間は短くとも、その前後が結構かかりますので、実質時間的には、然程差はなく、車内で何かできること考えると、スピードに乗ってるスマートさに納得ということで、世の中の殆どの皆様は、東京↔️福岡には、飛行機なのですよね。きっと。
そんな今更の言い訳を胸に秘めて(笑)、病みあがりには、軍配は新幹線モードから、こちらがよいと自分に言い聞かせてやって来ました羽田空港。
なんといってもこの季節は、クリスマスのイルミネーションがきれい~(^-^)v
優しい光に包まれ、ツリーの中から聞こえてくるオルゴールの穏やかな音が、癒されます❤️
ツリーには、小さな動物たちが隠れて(もちろんお人形😅)なんだか可愛いな~
さあ、また頑張らなくちゃ。
新宿にあるロールキャベツの老舗「アカシア」発見!新婚の頃一度だけ行ったことあり、懐かしくて入りましたら、このクリームシチュー仕立てのロールキャベツのお味に昔を思い出しました。主人は全く記憶にないそうで、私はあの頃を思い出し、ニコニコ、ペラペラ思い出話に耽りながらいただいてる横で、全く反応無し。おい、父ちゃん、我々にもそんな時代はあったわけよ‼️😆💣️✨
慌てて撮影。
好きなことを続けさせてくれてる主人の見送りに感謝!育ててくれた先生や、両親にも、感謝、風邪引いてる場合じゃなかった、与えられた人生、生き抜いて行かなきゃ☀️ありがとうございます。