シバの女王アップ
乳癌と診断が下るのに時間がかかって、それまでに進行したせいで、イザ虎ノ門で診断をうけた時には既に骨転移がありました。
1年前、12/11の朝。
検査のための通院を予定していたその早朝、我慢していた痛みも限界となっていました。
朝トイレに這うように起きて、手を洗おうと洗面所で一歩も歩けなくなり、それでも、まだ救急車を呼ぶことをためらい、ようやく緊急搬送となったのは昼ぐらいだったかと思います。
普通の担架には、救急隊の人たちが運ぶには骨の痛みが酷くガバッと体を固定する箱のような担架に乗って、綾瀬から虎ノ門まで30分揺られながら、痛くてたまらなかったことを鮮明に覚えています。
そこから、ほぼ半月ぐらい、私は、体を、縦に起き上がることはできず、寝たきりになりました。
痛みもですが、食事から、排泄、すべてのことの景色が特別なことになり、人生の価値観から何もかもが一変、生きていることの感謝と同時に、ほぼもう先のない我が身を実感して絶望の中にありました。
そんな中に、動く手で携帯をいじっては、自分の存在を確かめながらのネット、音楽が何よりの慰めであり、フランスものやら、癒し系のクラシックを聴いていました。
ある時に、よく弾いていたG線上のアリアから、バロックつながりでヘンデルをひらいたら、再生リストの最初に、この曲が出て来たのです。真夜中でしたが、瞳孔が全開するほどの華やかなサウンドと、リトルネッロの合奏と独奏部の交互の繰り返しがわかりやすく、3分程度のこの曲だけで、眠れぬままに何時間も聴きながら、生きていく力を得て、諦めてはならないと、自分への力強い励ましとなりました。
退院してすぐに、できる範囲で机に向かいながら、フィナーレに入力して書いてみたものの、病の身で飢えた音楽制作、五線に埋めた音符に作り上げた喜びを見いだしても、音の紬の幸せには至らず、楽器を弾けない身の上が、これ程までに悲しいと思ったことはありませんでした。頭は使っていても、耳は、空気を通した音がいかに大事かと、それはそれは残念な思いで涙していました。
回復しなければ!
弾けるようにならねば、生きていることにならない。そう強く思って少しずつ、かつてひいていたレパートリーを弾き始めてみたものの、体は、思うようにいかず、痛みとの騙し合い、それでも、作るためにはと、自分なりに取り組む毎日が過ぎていきました。
その陰にはいつも、ステージ4に怯える自分もいて、だからこそ、回復しなくてはと、私にできることで、生きていたのです。
以前からのセミナーを復活させ、書き溜めていたブルグを伝えることにして、自分で賄いきれない演奏は、信頼できる方にアシストをお願いしながら、1回ずつのセミナーをこなしていくことを目標に、なんとか形にしていく音楽活動。
人は皆、それを凄いと褒めて下さり、生き延びている自分の執着心を励みに、ここまできています。
本来ならば、かつて人生をかけて取り組んできたピアノとエレクトーンのアンサンブルを書いていかねばと使命感に燃えたいところだけど、今の私にはボチボチの一人完結ソロで精一杯、いや充分なのです。それもやっと、本当に、小さい子供のトレーニングのように弾いて、楽器の機能を活用しながら、私なりに形にまとめる、それが私のアレンジだからと、そんな積み重ねの作品作りを行っているのです。
あの絶望の縁から救ってくれた曲が、ようやく音を出しながらまとめるに至りました。
アレンジも、演奏にも、あの出会った感動を作品に伝えられたらと、ようやくアップしたら、涙が溢れて、できなかったというより、生きることの意味を感じるかのように思えてなりません。
そう、弱っている身体にリハビリ兼ねた演奏のトレーニングは、かなりの無理であったのか、いつか書いたナルラピドで、毎日痛みを乗り越えながら過ごしています。
痛くても生きていくことを、力強く思っています。
そんな「シバの女王の到着」大好きな曲となり、人生をかけたような思い出の作品になりました。
どうか皆様、この曲と少し前にアップした「ラルゴ」ヘンデルがくれたプレゼントを、皆様にもお届けします。
まだ生きている私を、どうかこれからも、よろしくお願いします。
https://youtu.be/DqdTEBgtXTw?si=c5vkjn1_L7zRvA4T
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