エレクトーンについて思う
2024.7.10.回復日誌
この所お散歩も出来てなく、暑さもありますが、イマイチの体調から復活へと少し元気に回復が進んできたように思います。
外出できない私のために、よくコンサートをご一緒していた友人から、コンサートレポートでプログラムや関連CDのプレゼント♥
ポジティブオルガンによる平均律!ピアノで耳馴染んだ楽曲をオルガンで新鮮に面白く聴きました。
ポジティブオルガン、一段鍵盤のパイプオルガンのようですが、音色はエレクトーンのオルガンの6か、10の音に近い感じ。以前にエレクトーンでバッハのオルガン曲を弾いてみようと挑戦したことがあり、音としてはそれなりに奏でる楽しみを持てたものの、つい途中で音色変化を求める自分が、、、ここに木管がほしい、ここで、ホルン、等など、ワタクシはエレクトーンなのだなぁ〜と、感じたことがありました。
偉大な指揮者であり編曲をてがけたストコフスキーが、バッハのオルガン曲をオーケストレーションしていますが、まさしく手元でそれを実現できるエレクトーンなわけで、私には、音楽の宝箱のような有能な楽器だと信じて疑わないわけです。
でも、なぜか、あまりにその有能さが、機械、器械と見えるのでしょうか。歴史の中のエレクトーンは、かつての輝きから少子化と同じカーブで陰りを感じる現実🤔🥲
楽器は単一の音色で奏でる方が解りやすいという、見た目からの存在価値の高さが勝っているようです。
初めてエレクトーンにふれて、約60年。音楽教育機器としての活用でしかその立ち位置の決め手が見えず、素晴らしい演奏家や作品がもっと音楽界においても注目されてもよいはずが、なぜ今に至っているかと、関係者は皆吹っ切れない心情を抱えているように感じます。
一方、その楽器の経験による音楽力はメディアの発達と共に様々な制作シーンへの力となっていることも実感しています。
しかし、その魅力、虜になっているからこそ、その楽器の価値が繋がれていくという先人たちの姿にも教えられながら、私も愛好する一人として好きな道を続けていかなくてはと思うのでした。
病となりましたが、エレクトーンを伴奏楽器として捉えたコンチェルトスタイルの編曲や、気軽に楽しめる楽器だからこそのソロ作品など、やればやるほど、逆に他の鍵盤や創作に繋ぐことになり、私の中ではエレクトーンで学んだ音楽が力になっているのだと様々なご縁やサポートに感謝しています。
ホールにエレクトーンがあったらなぁ。
もう少し楽器の見かけをクラシックにも絵になるようにしてほしいよなぁ。
車検があるみたいに、専門で指導する方々にはメンテナンスも何かあると良いかも。
エレクトーン演奏法について、機能優先とはまた別の視点でより高いものを目指して、もっと語られてもよいかと思っています。
そして何よりも、もっと広い世界へ視野を広げる活動へと牽引するエージェント、この厳しい時代にも信念を感じるスポンサーやプロデュース力、新たなエネルギーが現れないものかと、密かに期待するわけです。
経済効果が生まれなければ、文化も育たないのでしょうか、すぐに答えが出ないと切り捨てられる何かと同じでは、築きあげた、芽吹いて育つ花も実もつけずに終わっていくような寂しい気持ちになります。
少なくとも今、エレクトーンを使って音楽を教えている人々、奏でる喜びを感じている人たちには、笑顔で幸せをもたらす楽器でありますようにと、よい音楽を続けていきたいじゃないですか。
今日はとっても長くなった〜なんだか、元気になってきたかなぁ💕😄😁最後迄お詠み下さった皆様有難うございました。
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