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2024年7月11日 (木)

小倉jet退任

今日は曇。幾分暑さが和らぎ、雨が降ってきそうな空に相談しながら、お散歩兼ねて近所のスーパーへ久しぶりに出かけてきました。
近所のお寿司屋さんの隣に住んでる猫ちゃん、顔なじみ〜久しぶり〜


九州は大雨とかで、実は最後の小倉jet退任のご挨拶は、文書とご挨拶動画をご覧いただくことになっていましたが、大雨の影響で本日の定例会のご参加は少なかったとのことでした。

本来ならば、リアルにご挨拶せねばならないところを、最後までご迷惑をおかけしてしまい、関係の皆様には最後までお世話をおかけしてしまい、すみません。どうぞよろしくお手数おかけいたしますが、よろしくお願いいたします。


春先にお気遣いくださった皆様へ、ささやかな返礼のお品と、一口だけのご挨拶のお菓子をお送りして、私はこれですべてのjetアドバイザー業務から退かせていただくことになり、肩の荷が本当に下りた気持ちでおります。

小倉は実に27年、アドバイザーとしてお世話になりました。

九州に転勤で伺って、東京での経験を生かすべく、亡き山岸先生からのオファーでお引き受けしたことが最初でした。そこから東京に戻るときに、アドバイザー退任を考えたこともありましたが、様々な個人的状況も相まって、九州とのご縁は継続し、いろいろな状況の中にも、小倉27年が一番在任期間が長く、たくさんの思い出いっぱい、本当に小倉の先生方有難うございました。


かかわる皆様と共に一緒に年を重ね、人生を歩いてきたと思います。

病にならなければ、まだもう少しは続けていたのかもしれませんが、ちょうどよい頃合いでのお別れとなりました。

年月だけは過ぎてきたものの、いろいろと心残りなこともある中に、小倉では和気藹々と地域の中でエレクトーン指導を核として頑張る皆様のお仲間に入れていただき、定例会にイベント、本当に楽しい思い出いっぱいです。私自身もjetの活動で育てていただき、皆様のために書いてきた作品を発表する機会を得ることもでき、感謝しております。先生方のように教室活動を行えないのが大変残念であり、羨ましく思いながら、私なりのアドバイザーとしての道をひたすら作品制作やらプロデュース業務やらを重ね、普及として頑張ってきたのですが、誤解を受けることもあり、残念なこともありました。みな、立場が違うとなかなか理解に至らぬわけで、これからは、そんなことがない自由な世界で、書いていこうと思います、


さて、実際の活動を振り返ると、当初の10年はベテランの担当者H様と、今は福岡店の店長になられたN様で支部活動に取り組んでまいりました。その頃の私は家庭的にも大変忙しく、子供たちも中学、小学生で専門学校の講師の業務をこなしつつ、jetのアドバイザーも九州各地を飛び回りと、かなりの忙しさでした。一人一人が主役!をモットーにした参加型コンサート、サウンドドリームコンサートが一番の懐かしい想い出です。


その後10年は、いろいろな店長様が交代しつつ担当者様も交代、私は東京へ戻りましたが、アドバイザーは続投し、時々九州に伺う業務でした。

正直、東京と地方の音楽水準格差も実感する中で、何を大切に、支部活動を行っていくか、競争ではなく、音楽指導の本質は何かと絶えず考えながら、九州に伺う日々。

コンチェルトの活動でPTNAのステップもご一緒したり、音楽療育研究にも力を入れたりなど、なんとか小倉の先生方のエレクトーン指導の世界を外に向かってアピールしたい、普及に取り組んでいた頃でした。同じ鍵盤指導としてのピアノ指導力を高めなくては、また、子供だけでなく、大人の音楽発表のシーンの必要性を感じ、ホテル日航サロンコンサートや、With エレクトーンコンサートを展開、エレクトーンを伴奏楽器として捉えて先生方にもご一緒していただき、jet以外のイベントによって普及活動を広げていきました。


最後の7.8年は、小倉はヤマハ小倉店から大分のナガト楽器に移管され、また、コロナ禍にもなりと、いろんな新たなフィールドを実感した時期、オンラインでの定例会が多い中に、熱心な先生方が別途教材伝達研究会集って下さるなど、有志の先生方の学びの機会を私が担当する支部交流としてご提供し、刺激のある学びのシーンが生まれました。サウンドカーニバルやアレンジステージを基にした活動にもYouTubeをつかった視聴交流が、先生方同士の交流を生み、育て、刺激として、更に、新たな会員の先生方の力も大いに刺激としながら、小さい支部なりに私が感じる学びの活動へと行っていけたのではと思います。

また、続けていたコンチェルト活動では、私のアドバイザーとしての活動に賛同くださる演奏家の皆様のお力を得て、講座にコンサートにと、作品をアピールし、2年目はご一緒していただく先生と生徒さんで音楽の宝石箱コンサートを開くことができ、発表のシーンをこれまでのサウンドカーニバルから七夕サロンコンサートも実施して、支部とともに共存共栄の活動を始めたところでした。


アドバイザーとしては、担当する支部によりそいながら、その地域の特質のようなものを大切にしてきました。一方向では右に習いの同じ業務を行うことはむずかしく、それぞれの支部の良さをうまく感じつつ、私のできることで皆様のお力になれることは何か?と絶えず模索の27年間だったと思っています。


長いjet在任の間には、自分で支部を立ち上げて、そして自分で15年後ぐらいに閉鎖をしなくてはということもありましたし、支部担当の事務的なことでいろいろな問題を乗り越えねばならなかったり、また、jetという組織に対して年会費を支払って所属する、システム講師とは異なる雇用関係がモチベーションの質の意識の相違を生み、意識同調には至らぬこともあったりし、価値観の相違に苦労することもありました。


とにかく、アドバイザーをあちこちでたくさん担当させていただいて、人間を知る良い経験をさせていただいた、音楽を生業として、地域で教える先生方の成長のお手伝いを少しでもさせていただいたと、かかわる様々な皆様に心から感謝しております。有難うございました。

小倉の皆様、どうぞお元気で。こんな体になってお役に立てなくなって皆様にお目にかかれないのはとても残念ですが、陰ながら、皆様のご活躍を心から願っております。当時日本で電子オルガン科を設置した専門の大学教育機関が唯一設置されていたこの北九州、小倉は、そういう意味でもエレクトーンに歴史ある場所で、ご縁をいにだいたことに、誇りをもち職責推進する思いの27年間でした。本当に小倉の皆様有難うございました。

また、何か機会がありましたら、お目にかかりましょう💛


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