自分のためのコンサートを開こう!
一昨年、銀座ヤマハホールで開催したコンチェルト作品展、長年エレクトーンでの伴奏音楽に取組んできたため、誰かのために寄り添って奏でていくスタイルでステージを自ら作り、作品も発表し、ご一緒する方々と共に楽しみながら生きてきました。
でも、振り返ると、古くは97年の都城霧島酒造の霧の蔵コンサートに始まり、
2000年ヤマハ九州支店地下ホールでサロンコンサート、
2003年大分県日田市での風の蔵コンサート、
2004年福岡市糸島での森久美子サンクスコンサート、
2005年、北九州子供の館でアートコラボレーション〜ジョイントオリジナルコンサート、
2006年北千住日本茶カフェ茶翁での松丸弘子作品展、
2007年千駄木カフェイマーゴ松丸弘子クリスマスオリジナルライブ
2008年北千住東京芸術センター松丸弘子作品展、
2010年北九州ホテルニュー田川音の森コンサート、
2012年お茶の水レソラシティ松丸弘子作品展、
と、それからソロで弾く機会はほとんどなくなり、自らプロデュースする様々なコンサートでたまにご披露する程度、PTNAステップでのコンチェルトが中心になりまして、教育の現場で生かす作品作りと育成に力を注いで来たように思います。
2000年に、五指で弾くエレクトーン導入レパートリー曲集からの流れが教育へのフィールドの最初であり、今も活用していただく声が届くと嬉しさで胸がいっぱいになり、ピュアな気持ちが作品と共に伝えられていく原点に戻ります。
振り返るとほぼ10年サイクルで活動が動いているかのようです。
昨年、久しぶりに埼玉県春日部市正風館でソロ演奏でまとまったステージを踏みプログラムにオリジナルを組みましたら、お客様からは大変嬉しい反応をいただき、思い出しました、ああ、私は、作曲をしていたのだったと。
1995年に夫の転勤について赴任先の博多で、九州女子高校の学園体操の音楽を依頼され、短い制作期間のなかで仕上げた作品にあわせ、学生たちが体を動かしたのを見たのは福岡ドームの体育祭。圧倒される壮大な迫力で伝える喜びを体験したのは、遠い昔。
誰かのつてで、様々な作品を書き、ラジオドラマの音楽制作やお芝居の音楽や、学校の記念歌、お友達の歌詞に曲をつけたり、ネットにアップしたり、、、
今年は、転換点となる年なのかもしれません。
今年の暮には65歳になります。
家庭の中にあって出来る限りの活動、その継続でやってこれたことを大切に、私自身のオリジナル曲だけの音楽をリサイタルのようにステージにまとめてみようと、思います。
銀座ヤマハホールが、様々な状況で実施を見送らねばならなかったことも、また原点回帰なのだと思われ、以下の曲を8/12三連休中日の土曜日午後、永田町の紀尾井町サロンホールで開催するサロンの二部に松丸弘子オリジナル作品展として演奏致します。
真っ赤なリンゴのロマン
その微笑みのままで
SOAVE
Open Cafe
博多ナイト
風の蔵
ひかり
コスモス揺らして
単身不倫物語
木漏れ日の彼方へ
AGATA
海のささやき
予感
霧の蔵
〜〜〜〜〜〜〜〜
全部お届けできるかな?ピアノ練習しなくちゃ(^^ゞ歌モノもあるよ(*^^*)まだまだ実はあるけど、これぐらいにしてプログラムくみたいな。
とりとめなく、長々と書いてしまいました。
やりたいこと、それは作りたいことであり。ソロでもコンチェルトでも、歌でも!鍵盤を使って立体的に表現しています。
ずっと続けているjetの仕事は、たくさんの人を知りそのまま人間を学ぶこと。組織の中の小さな歯車として私ができることを精一杯やりとげながら、一人では何もできない無力さをまざまざと知り世の中を知るのです。子供たちのピュアな気持ちと、指導する先生方の愛が、私を救ってくれるのです。
コロナになって始めたオンラインセミナーは、新しい私の活動コンテンツになり、私のノウハウをストレートに伝えるレッスン。
大事なことは、箱から出してしまったら、わけが分からなく消えてしまうようで、かと言って輝けないダイヤにもしたくないしと、目に見えないそれをあなたと大切にしてみようかなと。
どうぞ、よかったら、聞きにいらしてくださいませ。
春の日の長いつぶやき〜
よろしくお願いします。
おやすみなさい

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