今日はオンラインセミナー、音楽理論のCクラスのフォローアップを実施いたしました。
この写真に後一名の先生が加わっていらして、私を入れて8名、先週の復習と、音楽理論Cクラスの目標、アドリブ作成につながるコードのこと、基本のアベイラブルのことを鍵盤を弾きながら、五線紙に書いていただきながらのおさらいを前半行い、実際のアドリブにつなぐために、ギャラリィ7黒い瞳と、市販のアレンジ譜を題材にして解説しました。
このクラスの進度として、今はマイナーのアドリブにトライしてみましょうのあたりなのですが、今期は音楽理論BとCで隔月交互に実施いたしますため、少しゆとりをお持ちになられ、それぞれの目標獲得につながるワークを踏まえて取り組んでいただけたらと思っているところです。
また、27日にjet教材伝達で、サブテキストとなっているフィンガリングワーク デュエット曲についてセミナーを予定しており、そちらの研修資料をやっと昨晩まとめました。
フィンガリングワークは、クラシックベースでテクニック獲得のための教材です。
エレクトーンでのノーマル演奏、どんな機種でも弾けるエレクトーンは、オルガン奏法でもあり、エレクトーン音楽として本来主軸とならねばいけないと思います。
しかし、楽器が進化し、それに合わせた方向でエレクトーン界は進んでしまい、機能優先のアレンジ、趣味の域で楽しむところのレパートリーに、片より過ぎてしまって現在のエレクトーン界を作り上げていると言えるのではないでしょうか。
かっこいい! 凄い~それだけを追っかけていませんか?
丁寧な演奏、上質の音楽だって、エレクトーンでありますよね。私は渡辺睦樹さんの音楽や演奏も大好きです。
音大を出ていないことを恥じる指導者、それはあなたの心の中の問題よ~生徒さんが付いてきていることが何よりの自信ではないですか!
そして、その自信を誠実にとらえて、なぜついてきてくれているのか、素晴らしいことではないですか!
自分の足りないことを足して積み上げて磨いて、胸を張っていけばよいことです。
その生徒の人生に音楽で、エレクトーンで影響を与えることをしているのだから!
グレードがそこそこ取得できていないと嘆く指導者、
それは合格していないから凹んでしまうのか、
合格するための勉強が足りないのか、
そもそもグレードって何? 名刺代わりのグレードも、取得しただけ合格しただけで、満足していていいのかという問題もあるでしょう。
でも、そのために頑張って学んだ努力したその経験が、たとえグレードを獲得していなくても、力となっていくことでしょう。
音楽の秘密みたいなルールのハードルを獲得したのだから。
逆に、世の中、グレードを持っている人が超一流でもないということに気付いて、そう思う自分の物差しはどこからきているのかに気が付くべきです。
みんなどんな世界でも、それぞれの良さがあり、選択した人生に誇りを持ち、その上で様々な学びがあるというもの。
専業主婦であることも、パートでどこかで頑張っていることも、結構な会社でキャリアを積み重ねていくことも、自宅で音楽教室を主宰していくことも・・・何かしら、時間を積み重ねて育つ成長しているわけで、無駄はないと私は思っています。
いいじゃないですか・・・人と同じスピードで、同じようにしていなくても。
その場その場で出会った方々が自分に与えてくれる影響は珠玉の宝物になります。
ちょっと話が広がってしまいました(;^_^A
エレクトーン講師として、共通理解の上でエレクトーンに向き合うことは、とても大切なことであり、その継続が自分にも組織にとっても、また、楽器にとっても、大事な結果を生み出していくのだと思うのです。
先日エレクトーンアンサンブルのコンクールを聞きに行きまして、子供たちが溌剌とステージにずらりと並んだエレクトーンに座り、アンサンブルしていました。楽しそうで華やかで、それはそれはとっても盛り上がっているように感じました。
しかし、はた?と、気が付くと、なんとベースを弾いている子が一人もいない・・・
そんな曲が多くて、おそらく下鍵盤で手でベースの音を弾いているとか、内蔵機能に頼って、発音させているとか・・・
いろいろとご指導の先生の指導上の工夫もあるかと思いました。
でも、シンセずらっと並べてアンサンブルするのではエレクトーンではないと思います。
少なくとも、一人はベースを弾かせるべきであり、アレンジの見せ方として、主旋律をとる生徒が曲構成に合わせて変化したり、難易度としての分担配分に配慮したりなど、大人数のアンサンブルは、ある意味オーケストラ曲を書いていくのと似ているかもしれません。
子供たちが、このアンサンブルによって、人と合わせる体験、テンポをそろえて心を合わせる体験から得られるものは計り知れなく、見ていて良い経験をさせているなと思いました。
しかし、エレクトーンではないと思いました。大音量であることもあり、正直疲れてしまい、エレクトーンの未来を考えたときに、なぜこのイベントが必要なのか、現場の講師や生徒父兄が考え及ばぬこととはおもいますが、楽器としてのエレクトーンの価値は、ここではなくソロにあり、少人数の2.3人のアンサンブルで、その奏でる場所の規模感、エレクトーン一台でできることをもっとしっかり教えていかねばと思った次第です。
それは、エレクトーンという有能な楽器は、伴奏楽器としての活用に向いているのではないでしょうか?
もっと、伴奏としてのエレクトーン活用を指導の中に取り入れることも必要、そう中級フィンガリング教材Aのデュエットには、その要素が盛り込まれているのです。
データに合わせて指導するとか、エレクトーンの内臓機能優先も、マニアックに面白いものですが、指導者がそこに意識を集中するべきでなく、特に個人レッスンで指導するjetの私たちは、しっかりとノーマル演奏を教えていかなくてはならないと思います。はっきり言って、指導者ご自身がノーマル演奏をしっかりできないことは、恥だ!ぐらいの構えでいなければ、エレクトーンの未来は危ないぐらいに、私は思います。
データを使った音楽制作作品をリアルタイムに聞かせられているようなステージに出会うと、長時間の鑑賞は無理です。プレイヤーコンサートでもビートものが続くと、ちょっと空気が引いてしまう~目指しているところは、大ステージ屋外コンサートなどや、ライブハウスなどだと思うのですが、本当にその手の音楽志向の方は別として、エレクトーンは有能な楽器だからこそ、家庭の中でいろんな音楽を奏でることができるスタイルで充分な指導教育楽器と捉えるべきだと思います。
リズムや機能は創出する音楽に加味して必要だから使えばよいことで、なぜ機能に合わせて・・・と思うことが最近多くなってきました。
今まで言いたくても、(いっていたかもだが ・・・(^^ゞ言えなかったのです。なぜか?については、また別の機会に。
こんな話をすると、以前は頷いて下さる方が少なかったのですが、みんなしっかり生徒に向き合っていらした方々は気が付いていて、きちんと勉強していこうと思っていただくようになってきたと感じています。勉強とは探求心と、面々と過去に連ねられた物事を吸い上げて自らの中にも理解を持つことだと思うのです。
時代の進化にも応じてピアノもエレクトーンもと、鍵盤を教える先生方の集まりがjetだと思っています。
そりぁ、楽器メーカーが母体となった組織形態をとっておりますから、販売協力も時にはあるでしょう。共存共栄の道をどうとらえるか、大きな問題も感じつつ、この世界だけでなく、世の中的に全体が閉塞感に満たされ、訳の分からないことにやたら意識が動いてしまい、本質を見失って行っては、なりませぬぞ! と、エレクトーンの音楽もしっかりと後につないでいかねばと思う時に、ノーマル演奏の価値の大きさは、そのままエレクトーン音楽の確立を見つめることになるのです。
ああ・・・今日は、語ってしまいました。皆様ここまでお付き合いくださってありがとうございます。
私は、64歳になっていますが、まだ少しは皆様に音楽をお届けできるかなと、今度の日曜日も仲間たちと一緒に、私の作品を神戸で奏でます。そして、こんな考えに導いて下さった恩師 柏木玲子氏の音楽を恩師自らが届けていただける幸せ、それを仲間たちと共有できることをなんと嬉しく有難いことかと思うのです。
この数年、あちこちの支部が閉鎖になり、所属会員が移籍し、統合しと、いろいろな状況が続いております。
私自身も25年ぐらい前に自ら立ち上げた支部が10年前に閉鎖、先生方は近くの支部に移籍を重ねて今基幹支部へと所属していただいています。
また、アドバイザーとしても、所属支部楽器店自体の経営者が移り、新たな組織長のもとでという経験もあります。
こうして文章に書くとそれだけのことですが、生徒さんを抱える先生方は、活動もそれに合わせて下さるわけですので、アドバイザーの私としては、個々の教室にその影響は及んだことではないかといつも心にどこか彼女たちのこと、そして頑張っていたあの生徒さんたちのことを思い出すのです。
最近は、人生を続けていくと様々な状況で会員の先生方が退会されることも多々あります。
本当にエレクトーンって、音楽を教えるのに便利な楽器であることをjetの組織としてしっかりと考えていくためには、心を伝えられるノーマル演奏に取り組んでいきましょうよ。
こちらをお読みくださったエレクトーン関係の皆様は、どう思われますか?
昨日の寒波襲来、一日明けて、澄み渡る空。