スコアを見ながら
銀座のプログラム、今日は、ムジカで、皇帝、モーツァルト20番、ショパン、そして私のオリジナルを楽しく聞かせていただきました。
銀座のためのコンチェルト17曲、皆大曲。何度スコア研究を重ねて、弾き方にレジストに、取り組みながら、その奥の深さに圧倒されてしまいます。
決めねばならないポイントがスパッと合うと気持ちもよく、ショパンがぐいぐい決まるようになりました。支える私のハーモニーを大変よく聞いてそれに乗って楽しくお弾きくださり、音楽に命の芽吹きが眩しく輝くようで、その姿にふれて元気になりました。
モーツァルトは、こちらもかなり磨きがかかってきて、弾きごたえの手応え高く、格闘する新たなコンチェルトの姿をお伝えできるように思えてきました。
皇帝は、かなりピアノ難易度が高いので、音のつまりぐわいにどう支えるべきかと、様々な演奏を聞いてみるものの、かなり聞き込んできますと、指揮者、ピアニストの技量も解るようになり、偉大な指揮者は音楽構築、伝え方のスケール感から、人間性まで感じます。また、一方、細かなミスやら、オケの失敗やら(^o^;)、間違い探ししてどーする、みたいな聞き方取り組みになってしまい、自分らしい演奏追求の方向には至らず、そんな風が自分の中に吹き出したら、いつまでたっても、なかなかゴールが遠く、修行が足りない~(泣)
ライバルは自分、いかに伝えるかを真剣に考えると、人まねしてる場合ではなかった!
原点にたち、アンサンブルとしての基本ができていない感じがして、スコアに引いた縦線や、エネルギーの増幅の膨らんだりしぼんだりする○の大きさをもう一度再検討せねばと、ゆっくりピアノパートを弾きながらエレクトーンを頭でならしてみると、あまり伴奏の効果を必要としないようなピアノであることに気がつきました。
つまりは、ベートーベンの作成過程も感じると、少し基本に返って合わせをやる必要を感じて終了~私にとっては課題山積でした。
いかに相手を思いやるかが、アンサンブルの良し悪しを決めていきますので、あの音のつまりが私の中で整理されていないのではと思われ何度も弾いていただきました。
自分のパートを必死で弾いているうちは、ソロで終わり、よい音楽にはならないのです。
ここに来て、ハードル高いベートーベンの華やかな音楽をどう一台の伴奏で高め、そのピアノに寄り添うか、炸裂エネルギーでは乗り越えられないハードルに更に詳しくスコアを見ながら取り組まねばと思います。
日程が延期になればなった分、取り組むゴールも高くなり、後ろを振り返れば、自らを恥じてしまうのです。
が、
楽しくやらねば、何のためのコンサートかよくわかりません(^o^;)
真面目に追求すると、精神的に参ってしまうし、腱鞘炎になる(笑)なってる😆💣️✨
寄り添う伴奏アレンジの、音つまりのバランスが悪いのでは?
いやいや、こんなもんかな~と、そのバランスは、違うところかも。
照準をどこにもってくるか、今がまさしくコンサート精進の正念場かも。
どんなピアニストより、私には指揮者の素晴らしさを感じて涙するわけで、時間の届け方をもう一度整理してみたいと思います。
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