作品コメント共有
今年もいよいよ押し迫ってきましたが、仕事は年内最後の業務を粛々とこなしています。
今日は午前中、和声の個人レッスンのフォローアップ、午後から神戸のサウンドカーニバル最終業務、実施後のフォローである参加者へのお渡しコメントをまとめました。
27人分に対して書いてくださった感想アドバイスコメントは、既に定例会でまとめて、みんなで共有しました。そこからお渡し用にコメントをまとめ、神戸支部仕様で作成したフォームに記入し、ワードとpdfにして、参加生徒の担当講師へメール添付、これもラインを使って送信しました。
個人教室の音楽指導水準は、個々のレッスンを公開チェックする機会も必要も無いため、高いか低いか評価もなく、本人も生徒もそのレベルを冷静に深く考えることも無いように思います。
そして考える時には、多くの先生方は、謙虚に自信もない姿で、控えめにされ、これでよいと本当は諦める訳じゃないのにこんなもんだ、と。
でも、育成していく上では、よりよい、つまり上手にさせることを目指しているわけで、父兄対応にしても比較する機会をもとめがちなのです。コンクールだったり、グレードだったり、他と比べる場で、ある時は合同発表会やら、同じイベントステージにならぶ生徒演奏にみつけて、より高いレベルへと取り組みます。
自分なりに評価して安堵することもですが、同じ方向を向いている仲間と、日頃目に耳にしないその姿を刺激にして、学びにして、そして互いに認め会い成長の機会を得ることになるのです。
小さなイベントや、取り組みにも、その集中して向き合った同じ同志の生徒も先生も、お互いの演奏を聞き会い、それを文章にして形にし、共有しあえば、実りの種が倍増というものなのです。
ましてや、創出する作品の発表の場合、よく自意識の過剰が原因で自信喪失となり未発表で終わる程、繊細にマイナスかプラスなのかわからない反応に出くわすことがありますが、いかに裸になる機会、オープンに公平に、爽やかに、自然に思ったことを素直に言い合って(もちろん、そこにも伝え方の思いやりは存在しますよね) 互いを高めることの訓練が足りていなかったかとも思われ、なんのためにこの機会があるのか欠落している残念なことでは、いつまでたっても人生広がらず、成長は閉ざされ、身の丈も延びるどころか、縮む、溶けてしまいます。
そんな指導者だけにはなりたくない、なってはならぬぞよ!(*^^*)
ちょっと話がとびました。
誰かに言われてそうするのでなく、自ら、こうしたい、奏でたい、という時に、最終作品にもの足りない思いがあったとしても、創出の原点には自分なりに、よいと思ったものが形になっているわけではありませんか。
だからその良いと思うものを、聞いた方もどう聞こえたか耳を澄ます時、納得行く感覚、そこに共感をみつけて、笑顔が生まれるように意思の疎通がある感覚、それこそが音楽のよさでもあるわけです。
その納得をたくさん文字にして、作者に送れば、受け取った作者は深く伝わった感動を実感することでしょうし、その経験にまた発する喜びが生まれます。
コメントを書く方は、たくさんの素材から学ぶべきことを自然にみつけて、学びにすることもできるわけです。
それは互いを認め会うことになり、音楽の力が和を持ち幸となります。そうしていくことです。
つまらない競争心は、我が身のうちに秘めた劣等感がもとになっていることが多く、誰ひとりとして同じものは全く無いと気がつかなくてはいけませんよね。
たくさんの先生方からのコメントをまとめる時、申し合わせしたわけでもないのに、ここが良かったという共通の感動のポイントがたくさん書かれていることに気づきます。
その視線の先には、その音楽の幸せになるココについて、よりそうような言葉が綴られていて、心をつなぐ美的な感覚、みな価値観がちがうといっても、人間の幸せを求めている原点に通じると、いつも思うのです。
それは良心かもしれないし、思いやりかもしれませんが、誰かに励まされ、喜ばしてもらえた感覚に似ています。
またまた手のひらピリピリに成る程PC作業にあけくれても、こんな作業がいつか羽をつけた不死鳥になって、巡りめぐって私にも幸せをもたらしてくれそうと、せっせとまとめました。
やっと終わって、受け取った担当講師からのお返事が、また嬉しい😃💕
長くなってごめんなさい。
こんな幸せ感って、62歳の境地かなぁ笑。
さあ、明日からやっとショパンピアコンやるぞ~(*^^*)👍️\(^_^)/
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