コンチェルト指導研究
なぜコンチェルト作品を作り続けてきたのか、私なりの考えがあったわけで、自分自身がピアノを弾いているときに、何かしらストリングスの支えがあったらなぁ、ここにはオーボエの対旋律が絡んだらいいのに。
それはそれは大昔、ピアノを習っていた頃の話。
エレクトーンから音楽を学んだ私は音楽の専門に進学することになってはじめてピアノを学んだ。14歳、人より随分遅い。
きれいな音、心がストレートに反映した。
ピアノを練習している時には、必ず別の何かを感じた、それは和音だったり、合いの手のようなフレーズだったり、心地よく刻むリズムの時もあった。
要は、頭の中で誰かが煽って鳴らしてくれたのかしら?(笑)マイオーケストラの出現だ。
家庭をもち、三十代になり教室を開いた時に、どうしても馴染めないお堅いピアノ指導の常識。
自らのもつ音楽の力を、ピアノレッスンに生かしてこそ、自らが楽しく思うレッスンができるし、生徒が何より喜んた!
エレクトーンは便利な楽器。たちどころにマイオーケストラがデビューして、はじめてその音楽を放ってみた。
習いたての子供が喜んで楽器にふれて弾きたくなるレパートリー。マイオーケストラ、マイバンドをエレクトーンで伴奏にした。
あるとき、きっかけがあって、いただいたご縁に答えるかのように、その描いていた世界をピアノの指導の世界に放ってみた。
取り組む子供たちの目の輝き、注目する同業者の目の輝きは、同じではなかったけれど、私はその子供たちの心に自分の音楽が届いた実感があった。
大いに!
音楽の力で、育てること、作品の力で、目には見えない何かを感じさせる体験をコンチェルトはできるのだと。
その楽しさは病み付きになり、制作にあたり、エレクトーンという進化する楽器の原点を見つめることになった。
奏法、編曲、時代の進化に合わせた方向?いや、音楽の本質は変わるわけではない、人間という動物が創出する世界は、宇宙の流れをベースにすべてが回る、人間の体、脳の作り、人間らしい自然な思い、体の動き、イマジネーション。
たくさんの思いがよぎるなかで、なぜか自分のやっていることをやめなかった。疑っても見たけれど、好きなことは、やめられない。
たまたま関わるエレクトーン指導者の世界に生きて、ますますはまった!よいことは誰かに話したくなるもの。
それは、子供たちが、その作品を共に奏でていく時に見せるピュアな心に、私自らも感動したから。それが制作の信念になっていったのだ。迷うことのない。
信じるものは救われるって?
宗教チック~爆笑、、、ある意味、宗教も芸術も通じるものは確かにあるさ。
さて。
今日は、私の作品を取り組ませている先生方が、その手法展開を報告、細かく配慮された実践の様子には愛が感じられ、豊かな情操を育てるための惜しげないエネルギーが満ち溢れていた。
そこには、かつてこんなのあったらいいねと浮かんだ私の頭の中にあったアイデアが横たわり、その想いをよしとして浸り、共感へと導く工夫のレッスンされていたのだ!
コンチェルトを書いてきて10年、やっとやっと、指導について語って下さるような世界が自然発生的に生まれてきた。
私にとって、それは歴史的な出来事だ!
ピアノ指導に役立つエレクトーン活用の方向から、エレクトーン指導者の本質にも触れる、自分が弾いてはいない聞こえてくる音を感じとって、奏でる訓練、これはエレクトーンソロでもいえることで、総合音楽指導のツールになりうること、はっきり証明された気がした。
この気持ちにしてくれたのは、他でもない現場の先生たち、現場の生徒たち。
ずっとよい作品を書いて、子供たちを育てていこう。未来のある人間のために、役に立つ音楽になれたらいいな。
ちっぽけなつまらない迷いも、あの心にふれて寄せて合わせたら。吹き飛んでしまう風が生まれるんだ。
明日はどんな出会いがまっている、どんな気分になれるのだろう。
今回の九州には、神様がいる!
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