母の願いの納骨式
昨年暮れに他界した従妹の納骨式を、母の名代で主人と二人、高尾まで出かけて来ました。
昨日は、そのお骨を、主人の実家から、我が家へ。意外と重いお骨。
専用の手提げバッグにおさめて、我が家で一晩過ごしてもらい、今日は私の仕事場にもよって、電車の中では膝の上に。
我が家では、私の両親の写真や、主人の父の写真に並べて、朝はいつものようにお茶を上げて手を合わせました。
もう、そこにあなたはいないけれど、いよいよ懐かしいお母さんのもとに一緒に過ごすことになりますよと心の中で語りかけ、車中から見える中央線沿線の景色や、わが家の住む町並みやら、駅の界隈の様子、最後に関わった私たちとの束の間の時間を楽しんでもらえたらと思いました。
彼女がおさまって、もう誰も入る人のいないお墓・・・住職さんとこれからのことも話し合い、いろいろとお願いして、ご塔婆、法要していただき、墓地でまた、お経をあげていただいて、お骨をおさめたら、私たちも本当に安堵した思いがしました。
95歳になる主人の母、まさか自分よりも先に彼女が逝ってしまうとは思ってもいなかったわけで、そのなかで私たちに託す思いはいかばかりかと、われわれ夫婦も責任感と使命感、それは母への孝行にもなると思いました。
母は実の両親の墓であるここには入るわけではないけれど、姪っ子のお骨をおさめて、自分の実家への仕事を全うすることができたことかと思います。母に終わってすぐ電話したら、受話器の向こうで泣いていました。
それは、たとえば私が・・・・都城の実家のことをいろいろと始末する時の思いと似ているのではと思いました。
私の父には、暮れに彼女の納骨のことを話したら、そりぁ、お議母さんのためにも、お前も頑張りなさいといってくれたのですが、その父さえも、3月に逝ってしまい、この納骨自体が遅れてしまっていたわけでした。因みに、父の納骨は私の手で、父自身が作ったお墓におさめました。
主人と結婚して、全く縁もゆかりもなかった東京の浅草や、神田の文化や歴史にも触れ、こうして縁あってこその繋がりでの墓参り、人の命の繋がりを大切に生かされている喜びに感謝する思いが湧き上がるかのようです。
時々、今でも、この前まで元気だった父や、母のことを思い出しては、一人で号泣してしまいます。
人は亡くなってどこへいくのだろうかと、時間がたてばたつほど、ひたすらその大切さを身につまされるものなのです。
亡くなってみて初めて分かる思いに、わが身の不出来を後悔しながら、亡くなった両親はこの姿を空から眺めて、また悲しむだけ。元気に明るく生きていかねばと思う毎日。
時代が変り、結婚の姿、子育ての姿も様々に変化しているようですが、知らない他人同士が一緒に暮し、助け合って喜びも悲しみも分かち合っていく時間の過ごし方、私は最も人間らしい生き方だと思います。
子供たちにも、そんなことを伝えていけたらと、思う日々です。
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