
中央が父です。父の遺影をどうしようかと通夜の前に探していたら、きちんと写真がまとめてありました。もしものときのためにと、自分で用意していたようでした。

若かりし父の写真、確かに!果物が大好きでした。
また、亡き父はかなりの几帳面な人で、なんと30年分ぐらいの日記が出てきました。
毎日4.5行ぐらいずつ・・・・これを見ると、私が東京から電話したのもわかります。
定年してすぐには、父は勉学をはげみたかった強い気持ちがありましたから、歴史や興味のある物にはすべてに手を出しており、かなりのエネルギーで学んでいたことがわかります。
達筆に整えられた島津の歴史や、夫婦二人で楽しみに孫を見に上京する時の計画メモも、何のイベントだ?というほど丁寧に綿密に計画してある様子がうかがえました。
また、さらにすごいのが、結婚して間もなく、いろいろと親戚の問題や家庭的なことでの神事にかかる経費などの帳面が出て参りまして、なんとしっかりしていることかと・・・・こんな父の娘は、ズボラで、ホンマに反省の極みでございます(^_^;)
そんな昔の家計簿のような帳面をみると、物価やら、何に気を使ってこんなものをとか、とても社会、歴史の勉強になり、90歳まで生きた父の証は、何よりも私に与える影響力大きい!おとうちゃん、ありがとさん~
そんな中に、まだ存命の叔父が母にあてた手紙など、とにかく手紙は捨てずにとってありました。人の手紙を読んではいけません!と強く教えられたのは、たぶん・・・・通信手段の手紙しかなかった時代、こんだけ手紙を保存していたら、そりぁ娘には知られぬように、読まれぬようにと配慮していたのだろうなぁ。
でも・・・今回、ちらっと読んでしまいました。亡き母の妹、母の叔母、いろんな証文としたかったかの様なもの・・・・生きていた時の顔が浮かび、その筆跡が心熱くなり、・・・・父と母の夫婦の歴史も忍ばれます。
我が家の母の家のこと、苦労した時代をみんなが頑張っている様子も伺いしれて、そんな中に私たちは育ててもらったのだなと。
そして、私が赴任先の父に充てて書いた手紙・・・・よくもまあこんなものをと思いますが、私からの手紙を大事に父は家族と離れ、一人仕事を頑張っていたと思うと泣けて泣けて仕方なかったです。
また、父自身があまり語らなかった自らの母親=私の父方のおばあちゃんについて、父自身の思い出としての随筆が出てきて、またこれが感動もので~これ、コピーして父の親戚に写真と共に届けたいな。
お父さん、一人暮らしの中で、いろんなことを考えて私のために残していてくれたんだね。有難う!
父は絵もよく書いていました。この絵は私が学生時代に贈ってくれたものです。
